2021年は、シーズン序盤から主力の不調や、大量離脱によって苦戦を強いられている北海道日本ハムファイターズ。
数々の生え抜き選手を育て上げ、常勝軍団を形成してきたチームであるだけに、今は育成の時期として我慢しなければならない状況ではあるものの、早期に芽吹く選手の台頭が待たれます。
そんな中、ある一人のルーキーが、躍動を見せつつあります。
それは、2020年ドラフト2位で入団した五十幡亮汰です。
俊足の持ち主として、ルーキーながら球界屈指のスピードの持ち主として、早くも注目を浴びており、今後のブレイクが非常に期待されています。
今回は、そんな北海道日本ハムファイターズの俊足ルーキー、五十幡亮汰について紹介していきたいと思います。
五十幡亮汰(日本ハム)はサニブラウンに陸上で勝利した俊足!100mのタイムやドラフト時の評価について
五十幡亮汰の出身地・プロフィール・成績について
引用:NHKJP
五十幡亮汰は小学校1年生の時に、地元の軟式野球チーム「行田東フェニックス」に入り、野球を始めました。
入団当初はピッチャー兼ショートのポジションを務め、小学校6年生の時には、NPB12球団のジュニアチームである、東京ヤクルトスワローズジュニアで外野手としてプレーをしました。
NPB12球団のジュニアチームは、発足して間もないイメージがありますが、今では、東北楽天ゴールデンイーグルスの松井裕樹やオコエ瑠偉、埼玉西武ライオンズの森友哉など、多くのプロ野球選手を輩出する選抜チームとなっており、五十幡亮汰もそのうちの一人となりました。
小学校卒業後は、行田市立長野中学校に進学しました。五十幡亮汰は学校の野球部や地元のチームに所属するのではなく、東京都にある硬式野球のクラブチーム、東京神宮リトルシニアに入団しました。
首都圏に住んでいる野球少年にとって、市外や県外に出て、プレーすることも珍しくありません。
当時、埼玉県行田市に住んでいた五十幡亮汰も、東京都に所在する「東京神宮リトルシニア」に入団しました。
主な練習場は、埼玉県での練習などもあったそうですが、メインは神宮の室内練習場であったりするため、休みの日ははるばる東京都まで足を運び、練習を行っていたということになります。
この「東京神宮リトルシニア」は多くの卒団生を強豪高校に輩出しているほど、強いチームであったため、五十幡亮汰の野球力はさらに磨かれることになりました。
チームは全日本中学野球選手権(通称:ジャイアンツカップ)に進出し、全国3位という結果を残しました。
そして、五十幡亮汰自身も中学3年生の時には、U-15のワールドカップの日本代表に選出されました。
中学校卒業後は、亡き母との約束である「プロ野球選手になる」という夢を叶えるため、栃木県の強豪高校である佐野日本大学高等学校に入学しました。
入学後、1年生の夏から外野のレギュラーとして出場していました。高校2年生の時に、脚力を生かすためにショートのポジションに転向しましたが、中学時代は外野をメインに守ってきた五十幡亮汰は、ショートの守備に苦戦。なかなか内野手としての動きをマスターすることが出来ず、結果、打撃にも影響が出てしまっていたようです。
そして、高校3年間を通じて、甲子園大会への出場の夢を叶えることは出来ませんでした。
高校卒業後は、中央大学に進学しました。
中央大学では、ポジションもショートから外野へポジションの再転向を行いました。
そして、これまで強豪チームで鍛え上げられた脚力を武器に、1年生の時からレギュラーを獲得。2年生の秋のリーグ戦と、3年生の秋のリーグ戦では、外野手でベストナインに選出されました。
なお、中央大学の同期には、大学日本代表で4番を務め、後に横浜DeNAベイスターズに入団する牧秀悟もいました。
牧秀悟に関する記事は以下からどうぞ。
そして、迎えた2020年のプロ野球ドラフト会議。五十幡亮汰は北海道日本ハムファイターズからドラフト2位氏名を受け、入団し、亡き母との約束である「プロ野球選手になる」という夢を叶えました。
五十幡亮汰は、1年目から春季キャンプで1軍に帯同しました。オープン戦からは2軍へ降格となり、そのまま開幕を2軍で過ごしました。
2軍では、15試合の出場、打率.256という成績であり、決して突出して良い成績を残していたわけではなかったのですが、主力の不調や、大量離脱によって、1軍への昇格を果たすと、5月7日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に途中出場を果たし、プロ初出場を果たしました。
その翌日には、プロ初スタメンで出場を果たし、プロ初打席を迎えましたが、この試合でヒットを放つことが出来ず、プロ初ヒットを記録したのは、その翌日の試合でした。
試合出場した当初は、1軍の壁が立ちはだかり、なかなかヒットが出ませんでしが、5月20日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、プロ初のマルチ安打を放つと、徐々に調子が上向き、ヒットを量産。
5月23日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ入り初となるホームランを放つなど、プロ入り前にはそれほど評価の高くなかった長打力も時より見せつけつつあります。
五十幡亮汰は陸上でサニブラウンに勝利した経験がある?
五十幡亮汰を語る上で、決して欠かすことが出来ないエピソードといえば、陸上での記録ではないでしょうか。
昨今では、球界のスピードスターが学生時代に陸上成績が優れていた、という話も珍しくなくなってきていますが、その中でも五十幡亮汰は、今陸上界でトップランナーとして活躍している選手に勝利したことがあるのです。
そのトップランナーとは、100mと60mの日本記録保持者である、サニブラウン・アブデル・ハキームです。
中学時代に五十幡亮汰は、前述の「東京神宮リトルシニア」で野球をする一方で、学校の部活では陸上競技部に所属していました。そこで持ち前の脚力を存分に発揮し、なんと全国大会にも出場。
そして、その全国大会で、サニブラウン・アブデル・ハキームと100m走と200m走で対戦。結果、サニブラウン・アブデル・ハキームを抑えて、見事全国優勝を果たしました。
こちらがその当時の映像です。
五十幡亮汰は、この全国大会で優勝したことから、学校からも陸上競技に専念し、陸上競技の強豪高校への進学を勧められていたそうですが、亡き母との約束を守るため、野球に専念することを選択しました。
五十幡亮汰が、このまま陸上競技に専念していた場合、日本代表クラスのランナーとして活躍していたことも十分にあり得るため、もし陸上競技の世界に進んでいたら、どうなっていたのか、という世界も気になりますね。
オフシーズンには、異種格闘技戦のように、様々なスポーツ界の足自慢が集まって対決をするようなテレビ番組もありますから、ぜひそのような番組に出演して、自慢の脚力を見せつけてほしいですね。
五十幡亮汰の100mのタイムは?
引用:高校野球ドットコム
中学時代の陸上競技での活躍によって、陸上界からも注目を浴びていた五十幡亮汰でしたが、陸上競技の全国大会でサニブラウン・アブデル・ハキームと争った時のタイムはいくつだったのでしょうか。
五十幡亮汰の、この大会での100m走のタイムは、10秒92でした。
今の日本記録保持者は前述の通り、五十幡亮汰が勝利した相手でもあるサニブラウン・アブデル・ハキームですが、その記録が9秒97。
当時の記録と比較すると、約1秒の差ですが、陸上界における1秒の差はとてつもなく大きいものです。
また、対戦した当時はまだ中学生で、サニブラウン・アブデル・ハキームが日本記録を樹立した際とも体つきはだいぶ変わっていますから、一概にこのタイムの比較は出来ません。
しかし、この10秒92というタイム自体も、日本の陸上界ではなかなか記録される数字ではないため、その記録を中学生の時に樹立した五十幡亮汰が、いかに俊足の持ち主であるか、ということがわかると思います。
今、五十幡亮汰が100mを走った場合、どれほどのタイムが出るか、気になるところですが、是非測ってみてほしいですね。
五十幡亮汰のドラフト時の評価について
「サニブラウンに勝った男」として、学生時代からその脚力に多くの注目を集めていた五十幡亮汰でしたが、ドラフト直前までのプロのスカウトからの評価はどのようなものだったのでしょうか。
五十幡亮汰へのスカウト評を見てみると、
「ミート力が上がっている」「打撃でアピールできている」「積極的に振れる」「凡打も含め、バッティングの内容がいい」などと、脚力以外にも、打撃を評価しているスカウトも多く見受けられました。
確かにスカウトの評価通り、1軍での試合出場を見ていても、ここまで脚力以外にも打撃でもしっかりアピールが出来ている印象があります。
もちろん、脚力についての評価が高い選手ではありますが、打撃の能力が高くないと、自慢の脚力を存分に発揮できないことになるため、まずは打撃を安定させることが重要になっていくと思います。
五十幡亮汰が1軍の試合に出場し始めたのも、5月からということで、他球団に五十幡亮汰の情報が回りきっていない状況かと思います。
交流戦が終わり、パワーピッチャーの多いとされるパ・リーグとの対戦になった時に、どれほどの結果が残せているのか、そして2021年シーズン終了後にはどのような成績となっているか。
ブレイク次第では、新人王の可能性も十分にありえますから、今後も五十幡亮汰の活躍に注目していきたいですね。
北海道日本ハムファイターズのニューヒーロー誕生、そして救世主となれるか、期待しましょう。
コメント