シーズン序盤での監督休養から、一時はシーズン100敗という状況まで追い込まれるほど、歴史的大敗を喫した2024年の埼玉西武ライオンズ。
そんな埼玉西武ライオンズの中で、内野手の要となる存在として期待されている選手がいます。
それが、2023年に東京ヤクルトスワローズからトレード入団した、元山飛優です。
守備については、東京ヤクルトスワローズ入団当時、アマチュアNo,1との呼び声高く、大きな期待を寄せられながらの入団となりました。
そんな元山飛優は、現在東京ヤクルトスワローズから埼玉西武ライオンズに移籍し、レギュラー獲得を狙っています。
今回は、そんな元山飛優について紹介していきたいと思います。
元山飛優(埼玉西武)は在日韓国人?ドラフト時の評価や守備,東北福祉大時代の成績について
元山飛優の出身地・プロフィール・成績について
引用:テレビ東京
元山飛優は、小学校入学前に、地元の少年野球チーム「城東ジュニアコンドルス」に入団しました。
入団の経緯は、家族で旅行をしていた時、チームの関係者に「野球をやりなさい」と話をもらったことから、入団に至ったそうです。自らの意思や、親の勧めなどで野球を始める選手が多い中で、半ば「スカウト」のような形で入団をしたのは、なかなか珍しいケースではないでしょうか。
小学校時代は、主にピッチャーとキャッチャーを務めており、チームの中心的存在として活躍しました。
小学校卒業後は、東大阪市立上小阪中学校に入学しました。
元山飛優は、中学校の野球部には所属せず、地元の野球チームである「生駒ボーイズ」に入団しました。
ここで元山飛優に転機が訪れます。これまで小学校時代はピッチャーとキャッチャーを務めてきたのですが、中学校ではいきなり内野手へコンバートされることになったのです。
もちろん、人生で初めてと言っていいほどの内野手としてのプレーはとても困難が続いたようで、まずはステップの練習をしたりと、基本中の基本から、地道に練習を重ねました。
そして、中学1年生の秋からショートのポジションを任されるようになると、猛練習を続け、週5日の練習日には、毎日2~3時間のノックを受け続け、守備力を磨きました。
中学3年生の時には、全日本中学野球選手権(通称:ジャイアンツカップ)に出場し、「4番・ショート」のポジションでチームの中心として活躍をしました。
ジャイアンツカップに出場し、活躍をしたこともあってか、強豪高校からのスカウトもあった元山飛優は、中学卒業後、地元・大阪を離れ、長野県の強豪高校である、佐久長聖高等学校に進学しました。
元山飛優自身は、当初大阪の名門高校であり、自身を中学時代に熱心に指導してくれたコーチの出身高校であるPL学園に進学しようと考えていたそうですが、PL学園の元監督が佐久長聖高等学校で指導していることを知って、進学先を佐久長聖高等学校に変更しました。
佐久長聖高等学校に進学した元山飛優は、強豪高校の中でもすぐに頭角を現し、1年生の夏からサードのレギュラーを獲得しました。
そして長野県大会で見事優勝を果たすと、元山飛優自身1年生ながらレギュラーとして甲子園大会への出場を果たしました。
この大会では、惜しくも2回戦での敗退となりましたが、1回戦では甲子園での初ヒットをマークするなどの活躍を見せました。
そして、3年生が引退をすると、自身の本職であるショートのポジションに戻り、レギュラーとして活躍をしました。
2年生の夏の大会でも、打率4割超という高打率を残し、県大会の決勝まで進みましたが、惜しくも決勝戦で敗れ、2年連続の甲子園大会への出場はなりませんでした。
そして元山飛優が最上級学年となると、主将に就任し、チームを牽引する役割となりました。
3年生の夏の大会では、前年の悔しさを晴らすように、長野県大会を制し、自身そしてチーム2年ぶりとなる甲子園大会への出場を果たしました。
甲子園大会では、1回戦での敗退となりましたが、高校野球生活で2度もレギュラーとして甲子園大会への出場を果たすという素晴らしい成績を残しました。
高校卒業後は、プロへ進まず、大学進学を選択しました。そして、これまた野球の強豪大学である、東北福祉大学に進学しました。
元山飛優はここでも、1年生の春、つまり入学直後からベンチ入りを果たし、スタメンでも出場する機会もすぐに得ました。
ここで少々天狗になってしまったのか、元山飛優は上級生にも反抗的な態度を示してしまい、チームの輪を乱しかねない行動を起こしてしまいました。
そして、この行動を問題視した監督は、1年生の秋に元山飛優に謹慎を言い渡し、掴みかけたレギュラーのポジションも剥奪されることとなりました。
この謹慎処分で心を入れ替えた元山飛優は、チーム内で信頼を回復し、2年生の春のリーグ戦では、再びレギュラーのポジションに返り咲きました。
3年生の時には、大学生の中でも、優秀な守備力を見せつけ、大学の日本代表にも選出されました。
4年生の時には、高校時代に続き、主将に就任し、持ち前の守備力と強打を見せつけ、プロのスカウトへのアピールを続けました。
そして迎えた2020年のプロ野球選手ドラフト会議。元山飛優は東京ヤクルトスワローズからドラフト4位で指名を受け、入団を果たしました。
背番号は、あの東京ヤクルトスワローズのショートのポジションで活躍し、守備の名手として、また球団の「レジェンド」として讃えられている、宮本慎也氏が背負っていた「6」を付けることになりました。
プロ1年目の春季キャンプから1軍に帯同し、オープン戦にも出場。打率は1割にも満たない数字でプロの洗礼を浴びるような成績となりましたが、前評判の高かった守備力が評価され、見事開幕での1軍入りを果たしました。
そして、3月27日にショートのポジションで途中出場を果たすと、第2打席にプロ入り初ヒット、そして第4打席ではプロ入り初ホームランを放ち、確実性の高い打撃力も見せつけました。
その後は、西浦直亨とショートのポジションで併用が続いています。守備については、引き続き安定したものを見せ、一定の評価はもらっていますが、打撃では一時2割を切るほど、苦しい成績となりましたが、交流戦をきっかけに復調し、打率は2割を超える程度までに復調しています。(2021年6月8日現在)
2023年に、宮川哲とのトレードにて、埼玉西武ライオンズへ移籍をしました。
元山飛優は在日韓国人?
元山飛優について、いろいろ調べていると、「元山飛優は在日の韓国人である」という噂が立っているということが分かりました。
そこで、元山飛優は在日韓国人であるかどうか、について調べてみたところ、確証に至るものは見つからず、元山飛優が在日韓国人であるということはハッキリしませんでした。
しかし「元山」という名字について調べてみると、どうやら在日韓国人が付ける名字であることが分かりました。そして、この「元山」という名字を名乗る在日韓国人は、大阪府東大阪市に多く見られるということが分かりました。
奇しくも、元山飛優の出身地も大阪府東大阪市であることから、在日韓国人である可能性は高いのかもしれません。
加えて、元山飛優の母の出身地が、鹿児島県の離島である「徳之島」出身であることが分かりました。一見、在日韓国人との関係がないように見えるこの情報ですが、徳之島で在日韓国人への教育を行っていた日本人教師の半生を綴る本の出版がされていることから、元山飛優の母が在日韓国人であった可能性もあります。
このようなことから、確実に元山飛優が在日韓国人であるという情報を得ることは出来ませんでしたが、様々な情報を集めてみると、在日韓国人である可能性は高いのかもしれません。
プロ野球選手に在日韓国人が多くいることからか、よく「在日であるかどうか」の詮索がされるケースが多いですが、プロ野球に限らず、日本では多くの在日韓国人が活躍しています。
本来、このような記事で国際関係に深く言及することは避けたいのですが、日本との関係があまり良好とは言えない韓国をはじめ、日本において多国籍な文化や環境を受け入れられる国になると良いですね。
元山飛優のドラフト時の評価・守備について
中学時代に突如として任されたショートのポジション。懸命な練習を重ね、高校・大学でも鍛え続けてきた守備力を武器としてきた元山飛優ですが、その守備力とはどれほどのものなのでしょうか。
元山飛優が在籍していた、東北福祉大学の監督である大塚光二監督からは、大学当時の元山飛優の守備力について「大学No.1。社会人を含めても1番」との太鼓判を押されていました。
特に、守備範囲の広さや状況の判断力がずば抜けて優れている、という評価だったようです。
しかし、元山飛優は、自身の守備力について、守備範囲や状況判断力ではなく、送球が自らの持ち味であると捉えているようです。
送球を考えた守備をしていることに加えて、肩の強さもずば抜けており、高校時代には最速146キロをマークする強肩であったということです。
大学野球をよく知るファンからは、今や球界No.1ショートとの呼び声高い、埼玉西武ライオンズの源田壮亮を引き合いに出し、「源田2世」と評価されています。
無駄のない動きで、非常に滑らかなフィールディングが特徴と言えるのでは無いでしょうか。
送球時も、目線が変わることがなく、非常に確実性の高い送球であることも特徴だと感じられます。
ただし、元山飛優は、まだまだ自身の守備力について改善すべき点があると考えているようで、プロに入ってからの春季キャンプでは、コーチと「一塁に投げ出す際のステップ・足の運び方」について、いくつか試しながら、更なる向上を目指しているようです。
そして、プロのレギュラーとして活躍し続けるに必要なのが、なんと言っても打撃ではないでしょうか。
特にセ・リーグは、ピッチャーを含めた9人が打席に入るため、あまり守備力に特化した選手が多いと、打線全体の打撃力・得点力に大きな影響を与えてしまいます。
元山飛優は、守備力だけではなく、打撃でも一定評価されていた選手であり、プロ入り初出場ではいきなりマルチ安打、そしてホームランも放つほどのパンチ力を兼ね備えた選手であることはアピールしています。
しかし、このような打撃が安定して求められるプロの世界では、まだまだ元山飛優の打撃力については、課題があるという見方がほとんどであると思います。
打席の中では、無駄な動きが目立つような気もするので、守備同様にどっしりと構えながら、来たボールに力を伝えられる打撃フォームが身に付けば、一定の成績が残せるようになるかもしれません。
奇しくも「源田2世」と言われた、その源田が所属する埼玉西武ライオンズに移籍したということになるので、身近に最高の手本となる源田を参考にしながら、技術を磨いてほしいですね。
元山飛優の東北福祉大学時代の成績について
引用:Full-Count
「大学No.1ショート」とも呼ばれた元山飛優は、大学時代に打撃でも素晴らしい成績を残しています。
プロの世界に入った今では、打撃に苦しんでいる状況かと思いますが、大学時代の成績を見ると、プロの壁を超えることが出来る打撃力を持ち合わせている選手であると思います。
ここでは、そんな元山飛優の東北福祉大学時代の成績についてご紹介します。
まず、大学2年生の春に、ショートのレギュラーとして返り咲いた元山飛優は、このリーグ戦で打率.486、12打点という好成績を残しました。結果、この成績で、リーグMVP、首位打者、打点王、ベストナインのタイトルを獲得しました。
その年の秋のリーグ戦では、打率が3割を切るものの、翌年の春のリーグ戦では、再び打率が4割を超え(.438)、12打点を記録し、打点王を獲得しました。
秋のリーグ戦では成績を落としがちになる元山飛優ですが、春のリーグ戦では、2度も打率4割を超える成績を残せているため、かなりシュアな打撃が出来る選手であると言えると思います。
長打力については、ホームランを沢山打てる選手ではないかと思いますが、内野の間・外野の間をキレイに抜いていくような打撃を安定して見せてほしいですね。
そしてもちろん、ヒットを沢山打つことも大事ですが、東京ヤクルトスワローズの打線全体をみると、山田哲人・村上宗隆の破壊力抜群の主軸や、オスナ・サンタナの外国人コンビの好調であることから、しっかりと状況に応じた「自分の役割」を果たすことに集中してほしいですね。
まだまだレギュラーとまでは至っていないものの、これから「宮本慎也2世」という大きな期待に応えられるような成績を残し、東京ヤクルトスワローズ不動のショートとして活躍し、チームの優勝に貢献してほしいですね!
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