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能見篤史(前阪神)をオリックスが獲得!阪神時代の成績や評価,年俸などについて

オリックスバファローズ
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2020年限りで阪神タイガースを退団した、能見篤史。

阪神一筋で現役生活を全うし、2020年も貴重な左の中継ぎとして、1軍の試合にも登板していましたが、阪神タイガースからは、来季戦力の構想外ということで、退団となってしまいました。

16年もの間、阪神タイガースに在籍していたため、生え抜き選手の退団には数多くの惜別のコメントが寄せられていました。そして、能見篤史の去就についても注目される中、オリックス・バファローズが獲得を発表致しました。

今回は、同じ関西地区のチームへと移籍し、まだまだ現役として投げ続けることとなった能見篤史について紹介していきたいと思います。

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能見篤史(前阪神)をオリックスが獲得!阪神時代の成績や評価,年俸などについて

能見篤史のプロフィールやこれまでの成績について

名前:能見 篤史(のうみ あつし)
生年月日:1979年5月28日(41歳・2020年12月現在)
出身:兵庫県出石郡(現:豊岡市)
身長:180cm
体重:74kg
投打:左投左打
ポジション:投手
能見篤史は、小学校3年生の時に、地元の軟式野球チーム「小坂プラッキーズ」に入団し、野球選手としてのキャリアをスタートさせました。小学校中学校のポジションは不明ですが、恐らく左投であったことから、投手、一塁手、外野手としてプレーしていたのだと思われます。
中学卒業後に、鳥取城北高等学校へ進学すると、野球部のエースとして活躍しました。高校時代に甲子園大会への出場は叶わなかったものの、チームを県大会準優勝へ導いたり、ノーヒットノーランも達成するなど、能見篤史自身の名前は全国に広まり、後にプロへ進むこととなる元・広島東洋カープ・川口知哉や、後のチームメイトとなる井川慶とともに「高校生左腕三羽ガラス」として注目を浴びる存在となりました。
プロ野球の各球団も能見篤史の指名に向け調査を進めていましたが、能見篤史自身は、プロ入りを志望せず、熱心な勧誘を受けた、大阪ガスへの入社を選択し、社会人野球を目指すこととなりました。
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大阪ガス入社後は、怪我が重なり、野球を辞めようとした時期もあったそうですが、怪我をかばいながら、なんとかアピールを続け、社会人でも注目を浴びる存在へと返り咲きました。
そして、2004年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースの自由獲得枠にて入団を果たしました。
1年目から開幕1軍を果たしましたが、当時の阪神タイガースは史上最強レベルに強かったこともあり、能見篤史にも1軍で高いレベルを求められながら、良い成績を残すことができませんでした。そして2軍に降格すると、その後は1軍と2軍をいったり来たりしながら、シーズンを終えました。
2軍では、防御率1.42と非常に良い成績を残していたため、日本シリーズでは1軍に呼ばれ、リリーフとして登板するという経験も果たしました。
2年目は、開幕から中継ぎとして登板を果たしましたが、ここでも思うような成績を残すことができず、交流戦の期間中に2軍に降格すると、この年は2軍暮らしが続くシーズンとなりました。
3年目には、先発として開幕ローテーション入りを果たすものの、シーズン序盤は不調が続き、なかなか勝ち星を挙げることができませんでした。この年も5月に2軍降格となったものの、8月に先発として1軍に昇格。
すると、プロ初完封勝利を挙げるなど3勝を挙げる活躍を見せ、シーズン終了まで1軍に帯同しました。
その後は、貴重な先発投手として、阪神タイガースの屋台骨として支え、規定投球回数の達成や、セ・リーグの月間MVPへの選出、二桁勝利に開幕投手を3度務めるほどまで活躍しました。
2013年には、第二回WBCにも選出されましたが、WBCでの登板はやや打ち込まれるという結果に終わりました。
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阪神タイガースの左のエースとしては、WBC以降も活躍を続けますが、徐々に先発としての陰りが見え始めるようになりました。
2014年~2016年にかけては、3年連続でリーグ最多敗投手という不名誉な記録も樹立し、能見篤史自身もベテランの域となった2018年に再び中継ぎ投手として活躍するようになりました。
そして2020年には、40代の投手としてのシーズン最多登板数記録となる34試合に登板するなど、まだまだフル回転の活躍をみせている中、阪神タイガースから2021年以降の戦力構想外であることを伝えられ、不完全燃焼であった能見篤史は現役続行を選択。
自由契約となった能見篤史は、トライアウトを受けずに他球団からのオファーを待っていましたが、2020年12月8日に、オリックス・バファローズと1軍投手コーチ兼任選手という形で契約を結び、現役続行となりました。

能見篤史の阪神時代の成績について

阪神タイガースには16年もの間在籍していた能見篤史。ルーキーイヤーの2005年以来、優勝とは無縁な現役生活となってしまいましたが、その間も決して腐ることなく、阪神タイガースの左のエースとして投げ続けました。
阪神タイガースでは16年間で通算104勝93敗51ホールド、1496奪三振、防御率3.34という成績を残しています。
まず104勝という勝利数についてですが、平成以降に阪神に入団した投手の中で最も多い勝利数となっています。
それだけ、阪神タイガース一筋で投げ続けてきた証拠であるというわけです。
そして前項でご紹介しました通り、2020年には34試合に登板し、これが40代の投手としてのシーズン最多登板数記録となっています。
社会人時代からプロに入ってからも怪我に悩まされた時期があった能見篤史。それでもまだまだ身体は元気であるという証拠だと思います。
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タイトルは2012年に最多奪三振のタイトルを受賞しているのみになりますが、能見篤史自身の通算奪三振記録を見てみると、1500奪三振まで残り4となっています。
是非とも通算1500奪三振に向けて、オリックス・バファローズで三振を奪ってほしいところです。

阪神タイガース時代の能見篤史の評価について

阪神タイガース時代の能見篤史については、先発でも中継ぎでもチームのために献身的に投げ続ける姿勢が一番印象的なのではないでしょうか。
先発としても、最多奪三振のタイトルを獲得したり、中継ぎでも今もなお30試合以上に投げ続けているわけですから、恐らくどのポジションでも安心して見ていられる存在であると思います。
しかし、能見篤史には、一つだけ気になる部分があります。それが「乱調」です。
これまでの現役生活の中で、突如として調子を乱し、大量失点や致命的な一打を打たれることがしばしばあります。その結果が、2014年~2016年に記録した最多敗投手の記録にも繋がっているのかもしれません。
マウンド上では常にポーカーフェイスを貫き、表情を一切出さずに淡々と投げ込む印象の強い能見篤史ですが、心の中では少し異変が起きるタイミングがあるのかもしれません。
オリックス・バファローズでも、主に中継ぎ投手としての起用が想定されますが、人材難であるオリックス・バファローズでは、もしかすると先発投手としての登板も可能性としてはあるかもしれません。
能見篤史自身も、新天地で気負いせずに、淡々と投げ込む姿を見せてほしいです。

能見篤史の年俸について

オリックス・バファローズに移籍という形となった能見篤史ですが、オリックス・バファローズとは年俸3,500万円(推定)で契約をしたと報道されています。
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2020年シーズンは阪神タイガースと9,500万円(推定)での契約でしたから、約6,000万円ダウンでの契約となっています。
それだけの厳しい契約であっても、能見篤史は現役を続行したい、まだ投げ続けたいんだ、という強い意志が感じられる契約であると思います。
恐らく、阪神タイガースも3,500万円という金額であれば、契約できたかもしれません。しかし、阪神タイガースとしては、ここまでの功労者に対して、大幅な減俸をするよりも、引退勧告をしてフロント入りしてほしい、という思いがあったのかもしれません。
阪神タイガースファンからも多くの惜別のコメントがあったように、選手本人と球団の間では気持ちが一致しないこともあります。決して阪神タイガースが悪いわけではないですが、能見篤史自身には、まだまだ現役としてやれるんだ、というところを見せつけてほしいですね。
オリックス・バファローズのファンからも多くの歓迎の声が寄せられていますから、2021年は新しい能見篤史の姿をパ・リーグで見られることを期待しましょう。

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