スポンサーリンク

福留孝介が中日へ復帰!現役最年長野手に期待される成績は?年俸はいくら?引退はいつになる?

中日ドラゴンズ
スポンサーリンク
プロ野球選手の寿命が長くなったと言われ久しいこの頃。
選手としてのピークを30代中盤以降に迎える選手も少なくない中、日本のプロ野球において、現役最年長野手(2020年12月現在)がまさかの古巣復帰を果たしました。
その選手とは、メジャーリーグでも活躍し、2020年シーズンまで阪神タイガースに在籍していた福留孝介です。
平成を彩った大打者が実に14年振りに古巣・中日ドラゴンズに復帰するニュースが飛び込みました。
今回は、現役最年長ながら、古巣で復活を期す、福留孝介について紹介していきたいと思います。
スポンサーリンク

福留孝介が中日へ復帰!現役最年長野手に期待される成績は?年俸はいくら?引退はいつになる?

福留孝介のプロフィール・成績について

名前:福留 孝介(ふくどめ こうすけ)
生年月日:1977年4月26日(43歳・2020年12月現在)
出身:鹿児島県曽於郡大崎町
身長:182cm
体重:92kg
投打:右投左打
ポジション:外野手
福留孝介の野球人生のスタートは、実はソフトボールを始めたことがきっかけでした。
小学3年の時に、地元のソフトボールチーム「大崎ソフトボールスポーツ少年団」に入り、なんと小学6年の時には全国大会にまで出場しました。
この頃から、将来プロ野球選手になることを目指していた福留孝介は、中学校に進学すると、学校の軟式野球部ではなく、地元のボーイズリーグ「鹿屋ビッグベアーズ」で硬式野球をすることを選択しました。
プロ野球選手になるべくして、より厳しい環境に身を置いたのかもしれません。
ボーイズリーグでも注目されるようになっていた福留孝介は、地元の強豪高校からの勧誘を受けましたが、自らが幼少期から憧れる、中日ドラゴンズのスター、立浪和義の背中を追うようにして、大阪の強豪校・PL学園へと進学しました。
PL学園へと進学した理由は、憧れの立浪和義と同じ高校であるという理由の他に「より高いレベルの野球をやりたい。強い高校に進学したほうが良い。」という思いだったからだそうで、やはり学生の頃から向上心は人一倍あった選手だったようです。
PL学園に進学すると、早速1年生の夏から5番打者としてスタメンで出場し、秋には4番を打つようになりました。
全国大会にも出場し、2年生の春、選抜大会ではレギュラーとして出場し、マルチ安打を記録すると、この年の冬には2年生ながら日本代表にも選出されました。
3年生になっても、福留孝介の打棒は猛威を振るう一方で、ホームランを量産。「高校生No.1スラッガー」との極めて高い評価を受けた福留孝介は、複数球団からのドラフト指名が確実視されました。
そして迎えた1995年のプロ野球選手ドラフト会議。高校生が受ける指名としては最多となる7球団から指名を受けた福留孝介は、くじ引きの末、近鉄バファローズが交渉権を獲得。
しかし、福留孝介はドラフト前に「中日ドラゴンズ・読売ジャイアンツ以外の球団から指名を受けた場合は、社会人野球・日本生命に進む」と宣言しており、近鉄バファローズの歓喜も束の間、福留孝介はこの指名を宣言どおりに拒否し、日本生命へと入社しました。
[ad]
今でこそ「12球団OK」の姿勢が多く見られるドラフト会議ですが、昔はパ・リーグの人気も下火で、セ・リーグ球団への入団を希望する選手が多く、指名を拒否することもしばしば見られました。
日本生命へ入社した福留孝介は、社会人野球でもその打棒を発揮。アトランタオリンピックの日本代表にも選出され、2本塁打を放つ活躍を見せました。
日本生命には3年間在籍し、公式戦93試合に出場、打率.383、33本塁打、96打点、25盗塁を記録しました。
そして、社会人3年目の年明けから、福留孝介は、子供の頃からの立浪和義への憧れとともに、中日ドラゴンズへの入団を希望することを明言しました。
そして、当時制度として存在した「逆指名制度」を利用して、ドラフト1位扱いとして、念願の中日ドラゴンズへ入団しました。
なお、逆指名制度は、その後「獲得自由枠」としてドラフト候補選手と球団合意のもと、先んじて入団を決定する「囲い込み」のような制度として存在しましたが、後に「獲得自由枠」を巡り、球団と選手の裏金騒動へ発展。この制度は廃止となりました。
内野手として入団した福留孝介は、入団1年目からレギュラーに抜擢。ショートのポジションを守り、132試合に出場。打率.284、16本塁打という大活躍を見せました。
しかし、一方で打撃と守備にはやや粗さが目立つプレーもあり、打撃では三振数がリーグ1位であったことや、守備でも致命的なエラーをしてしまうなど、結果を残した一方で、プロの洗礼を浴びた1年でもありました。
プロ2年目は、社会人時代に守ったサードのポジションにコンバートされるも、守備の粗さは変わらず、やがて打撃にも悪影響を及ぼした結果、1年目ほどの成績を残すことは出来ませんでした。福留孝介には2年目のジンクスが大きく立ちはだかったのです。
プロ4年目には、外野手へコンバートされることになりましたが、このコンバートが福留孝介にとって大きな転機となりました、コンバート直後はまだまだ慣れない外野守備ではありましたが、やがて安定すると、打撃にも好影響が出始め、シーズン途中から3番打者に定着しました。結果、この年に打率.343を記録し、自信初となる首位打者のタイトルを獲得しました。
翌年には、2年連続3割に加え、自信初の30本塁打を記録し、セ・リーグを代表するスラッガーとして君臨しました。
その後も活躍を続けた福留孝介は、記念すべき第一回WBCの日本代表に選出。スタメン落ちした準決勝では代打で出場し、先制2点本塁打を記録し、日本の決勝進出に貢献すると、決勝でも代打で出場し、2点タイムリーを放ち、優勝に大きく貢献しました。
シーズンに入ってもその打棒は留まらず、打ちに打ちまくった福留孝介は、結果、打率.351、31本塁打、104打点を記録し、自身2度目となる首位打者のタイトルと、2年連続となる最高出塁率のタイトルの2冠を達成しました。
そして2007年、この年のシーズンは怪我に悩まされ、規定打席にも到達しない成績ではあったものの、メジャーリーグへの移籍を決意した福留孝介は、シカゴ・カブスと4年53億円という大型の契約を結び、日本人メジャーリーガーの仲間入りを果たしました。
メジャー移籍1年目、シーズン序盤には打率3割を超える成績を残し、好調なスタートを切った福留孝介でしたが、徐々に研究されると、成績は下降線を辿るように。結果、ポストシーズンでも思うような結果を残すことが出来なかった福留孝介は、チームやファンからも見放されてしまうという、屈辱の1年目となりました。
それでも日本球界からの評価は依然として高く、メジャー2年目を迎える年に開催された第2回WBCの日本代表に2年連続で選出。メジャーでの2年目が始まると、前年同様に好スタートを切るも、再びシーズン終盤にかけて成績を落とし、結果として、メジャー移籍後3年連続でこのような成績の波をたどりました。
そしてその後はシカゴ・カブスからトレードでクリーブランド・インディアンス、シカゴ・ホワイトソックス、ニューヨーク・ヤンキースと転々と移籍をするも、結果を残すことが出来ず、2012年限りでメジャーリーガーとしての挑戦を終了させ、日本のプロ野球への復帰を明言しました。
[ad]
日本球界復帰の意向を示した後に、複数の球団が獲得に向けて交渉を進めた結果、2012年の12月に阪神タイガースへの入団が発表されました。
阪神タイガース入団後の2年間は度重なる怪我や不調の影響で、中日ドラゴンズ在籍時のような結果を残すことが出来ず「不良債権」との声も多く挙がりましたが、徐々に成績は上向き、2015年シーズンからは5年連続で二桁本塁打を達成するなど、ベテランになりながらも阪神タイガースの主軸として活躍しました。
しかし2020年シーズンは、自らの不調や若手の台頭などもあり、出場機会が激減。わずか43試合の出場に留まり、成績も1本塁打止まりという成績となりました。
そして43歳という高齢もネックとなり、阪神タイガースから2021年以降の戦力構想外であることが通達され、阪神タイガースを退団することとなりました。
現役引退も囁かれる中、現役続行を決意した福留孝介に、実に14年振りとなる古巣・中日ドラゴンズへの復帰オファーが届き、2021年シーズンは古巣・中日ドラゴンズでのプレーが決定し、背番号は「9」を背負う予定です。

NPB現役最年長野手として、中日ドラゴンズで期待される姿とは?

43歳という高齢ながら、2021年もバットを振り続けることとなった福留孝介。
14年振りの復帰となる中日ドラゴンズでは、どのような役割を期待されているのでしょうか。
2020年シーズンが特異なシーズンであったことを除き、2019年までのシーズンを見れば、全試合とまではいかないまでも1軍スタメンで出場し続けることが出来るかもしれません。
2020年は福留孝介のみならず、多くのプロ野球選手が調整に苦労し、不振に陥る選手もいました。
高齢となった福留孝介にとっては、なんとも惜しい1年だったのかもしれませんが、充電期間として、2021年シーズン以降の活躍に期待したいです。
[ad]
もう一つ、福留孝介に与えられる役割としては「ベテランとして、若手の手本になること」ではないでしょうか。
2020年シーズンまでの野手最年長は、藤井淳志の39歳。次いで大島洋平の35歳と、ややベテランの層が薄い状況です。
藤井淳志は若手の台頭もあり、1軍にいられない時期も多くなっていますから、ここぞのベテランの力が欲しい状況であったのかもしれません。
福留孝介にコーチ兼任等の肩書はついていないようですが、背中で語るようなタイプの福留孝介が1軍にいること、そして、少しでもこれまでの経験を若手に伝えられると、王者・巨人の背中が、2020年よりも近くに感じられるかもしれません。
ベテランの移籍といえば、阪神タイガースから自由契約となった鳥谷敬が、千葉ロッテマリーンズに移籍し、2020年シーズンは、年間を通して1軍に居続けました。
決して試合出場数は多くなかったものの、ベンチ内で若手選手と話し込む姿や、若手選手へアドバイスを送るというエピソードもあり、確実に「ベテランとしての役割」を全うし、その結果が千葉ロッテマリーンズの躍進へ貢献することとなったはずです。
このような選手個人が残す成績以上に、功績を残せることを考えると、中日ドラゴンズの福留孝介の獲得は、非常に価値のあるものだったのかもしれません。

福留孝介の年俸について

2020年シーズンは、阪神タイガースと年俸1億3,000万円という巨額の契約を結んでいましたが、結果を残せず退団という結果に。
2021年シーズンは「拾われる」形で中日ドラゴンズへの移籍となりましたが、果たして年俸はいくらになるのでしょうか。
福留孝介の年俸は、2020年の年俸よりも大幅な減額となる、推定3,000万円での契約となる見込みだそうです。
前年の年俸と比較すると、その金額は1/4以下という金額になります。
それほどの契約であっても、福留孝介は現役を続けたい、という思いがあったというわけですから、是非2020年の悔しい思いをぶつけて、活躍してほしいですね。

福留孝介の引退はいつになる?

日本球界の中で、最年長になった福留孝介は、果たしていつ引退をするのでしょうか。
中日ドラゴンズとの契約は、単年での契約であることが決定的であるため、福留孝介がこの1年で結果を残すことが出来なければ、この2021年シーズン限りでの引退となってしまうかもしれません。
もしかすると、幼い頃の憧れであり、自身を育ててくれた感謝の思いから、中日ドラゴンズへ復帰した、ということであれば、もしかするとこの2021年限りと考えているかもしれませんね。
もちろん、まだまだやれる、動けるという印象ももちろんありますし、現役を続けながら「生きた手本」として若手の指導を期待したいですね。
日本球界において、最年長選手となった福留孝介。
かつての輝きまでは期待できないものの、再び袖を通すことになった中日ドラゴンズのユニフォームで、活躍する姿を期待したいですね。
↓新着記事はこちら↓

コメント

タイトルとURLをコピーしました