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川島慶三(ソフトバンク)は球界屈指の左キラー!これまでのトレード遍歴や年俸についても調査

福岡ソフトバンクホークス
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選手層の厚さは12球団屈指とも言われている福岡ソフトバンクホークス。

怪我人が出ても、すぐに他の選手がその穴を埋め、強いチーム力が維持されています。

 

もちろん、若手が次々と育成されてカバー出来ているということもありますが、それ以上にベテランの存在が欠かせない状況になっていることを忘れてはいけません。

 

そして、そのベテラン勢の中で一際存在感を放っているのが、川島慶三です。

 

川島慶三はこれまで3球団を渡り歩いた苦労人でもありますが、どのチームでも自らのポジションを全うし、また持ち前のキャラクターでチームのムードを明るくしています。

 

今回は、そんな福岡ソフトバンクホークスに欠かせないユーティリティプレイヤー、川島慶三について紹介していきたいと思います。

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川島慶三(ソフトバンク)は球界屈指の左キラー!これまでのトレード遍歴や年俸についても調査

川島慶三の出身地・プロフィール・成績について

名前:川島 慶三(かわしま けいぞう)
生年月日:1983年10月5日(37歳・2021年5月現在)
出身:長崎県佐世保市
身長:173cm
体重:74kg
投打:右投右打
ポジション:内野手・外野手

川島慶三は、小学校1年生の時に、ソフトボールを始めました。小学校時代はソフトボールを行い、野球をしていませんでした。

 

当時はまだまだ地方では、野球よりソフトボールが盛んだった地域も多く、恐らく川島慶三が住んでいた地域もソフトボールが盛んだった地域だったのかもしれません。

プロ野球選手の中でも、ソフトボールから野球選手としてのキャリアをスタートした選手は少なくないので、決して珍しいパターンであるというわけではなさそうです。

 

川島慶三は、小学校卒業後、佐世保市立旭中学校に進学すると、ここで軟式野球を始めました。

中学校時代は「1番・サード」として試合に出場していました。恐らく当時は俊足の1番バッターとして活躍していたものと思われます。

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そして、中学校卒業後は、地元・長崎の私立高校である佐世保実業高等学校に進学しました。

高校時代は、中学時代のサードのポジションではなく、ショートまたはセカンドとして活躍していました。

 

長崎県内では、なかなかの強豪校となっており、4季連続で九州大会に出場するほどの実力でした。

しかし、高校3年間を通して、甲子園大会出場の夢を叶えることは出来ませんでした。

 

佐世保実業高等学校を卒業すると、川島慶三はプロではなく、大学進学を選択しました。

そして、九州国際大学に進学すると、九州六大学リーグではセカンドのポジションで活躍をし、2年生の秋リーグ、そして3年生の春リーグの2季連続で首位打者を獲得するほどに打撃が開花しました。

 

4年生の秋リーグでは、小柄な体格ながらパンチ力も備わり、結果として本塁打王を獲得しました。

 

結果、大学通算では.408という驚異の高打率を記録したことで、九州No.1野手として、プロのスカウトにとって注目の存在となっていました。

 

そして、迎えた2005年のプロ野球選手ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから3位で指名を受けて入団を果たしました。

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プロ入り後、1年目から即戦力として期待されていた川島慶三は、チームから出場機会を増やすため、外野手での出場を打診されていましたが、川島慶三は内野手としての出場を選択。

そして、キャンプで着実にアピールを重ねた川島慶三は、オープン戦の初打席で、場外にサヨナラスリーランホームランを放ち、鮮烈なデビューを飾りました。

 

その後も、大学時代に開花した高い打撃力と、持ち前の守備力でアピールを続けた結果、見事開幕1軍入りを話しました。

 

開幕直後は、代打でプロ初出場を果たしますが、ヒットを放つことはできず、一時は2軍へ降格しましたが、すぐに1軍に復帰しました。

1軍復帰後は、代打でプロ初打点を記録すると、プロ入り初のスタメン出場した試合で、プロ初ヒットを放ちました。

 

その後は、試合途中からの出場機会が多く、1軍と2軍を行ったり来たりするシーズンを送りました。

 

結果として、打率は.182に留まり、守備もやや不安定な面が見られたため、内野手としての出場機会はほとんどなくなりました。

 

プロ入り2年目、プロでの内野手続行は不可能であることを覚悟した川島慶三は、前年に球団から打診されていた外野手としての出場を直訴しました。結果、この年から外野手としての活躍を目指しましたが、春のキャンプで右肩を故障し、プロ入りから2年連続での開幕1軍入りを逃し、2軍で開幕を迎えることになりました。

 

この年も、1軍に完全に定着することは出来ず、シーズンの大半を2軍で過ごすシーズンとなりました。結果、1軍での試合出場は10試合に留まりました。

 

そしてプロ入り3年目を迎える直前に、3対3のトレードによって、東京ヤクルトスワローズに移籍することになりました。

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ヤクルト移籍後は、キャンプ・オープン戦で猛アピールを行い、ルーキーイヤー以来となる開幕1軍入りを果たすと、開幕戦でプロ入り初となる開幕スタメンで出場を果たしました。

この試合で川島慶三は、移籍後初安打・初打点・初得点を記録し、チームの勝利に貢献しました。

 

その後は、プロ初の猛打賞やプロ初の本塁打をマークし、大学時代の打撃を彷彿とさせるような打撃を見せ続けました。

守備も内野手としての出場を増やし、シーズン後半にはショートのレギュラーとして出場しました。

 

結果、プロ入り初の規定打席到達には惜しくも及びませんでしたが、プロ入り後最多となる121試合に出場し、打率.255、4本塁打、35打点、20盗塁を記録しました。

 

ヤクルト移籍2年目には、長打力も備わり12本塁打をマークするものの、シーズン終盤に右肘を故障し、戦線離脱しました。

結果、プロ入り初の規定打席到達を果たし、安打・本塁打・打点で自己最多をマークし、ヤクルトの看板選手として、今後の活躍が期待される選手となりました。

 

しかし、翌年以降は痛めた右肘の回復が思わしくなく、ヤクルト移籍3年目は1軍・2軍ともに試合出場がありませんでした。

 

ヤクルト移籍4年目は、右肘も回復し、開幕1軍の座を掴み取るものの、開幕直後に右手に死球を受け、骨折し、戦線離脱を余儀なくされました。その後、シーズン中盤に1軍復帰したものの、レギュラーを奪還することが出来ず、しまいにはシーズン終盤に右肘痛が再発し、再び戦線離脱することになりました。

 

そして、右肘痛のリハビリに長い年月を費やすこととなり、ヤクルト移籍5年目は、再び1軍・2軍ともに試合出場がないシーズンとなりました。

 

不死鳥のごとく、ヤクルト移籍6年目に開幕スタメンの座を勝ち取るものの、自慢であった打撃が鳴りを潜め、シーズン序盤から控えに回りました。結果、101試合に出場をするも、成績は上向かず、苦しいシーズンとなりました。

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ヤクルト移籍7年目は、キャンプ前から右肩と右肘に不安を抱え、さらには左手も負傷するなど、シーズン前に故障した影響で大幅に出遅れる形となりました。5月に1軍へ昇格し、先発出場する試合もありましたが、7月に2対2のトレードによって、福岡ソフトバンクホークスへ移籍することになりました。

 

自身2度目となるトレードによって、福岡ソフトバンクホークスに移籍した川島慶三は、移籍して程なく1軍に昇格し、ヒットを放つ活躍をしたものの、主力選手の戦線復帰に伴って、再び2軍へ降格しました。

 

その後は、故障もありつつも、1軍に定着し、左腕投手への好打撃という「武器」を身につけました。

代打や途中出場から結果を出すシーンも多く見られました。特にソフトバンク移籍4年目には、延長サヨナラタイムリーを放ち、これが日本一を決めることになったことで、ファンの心をがっちり掴みました。

 

主に左腕キラーとしての出番が多く、決してレギュラー選手という扱いではないものの、ファンからはユーティリティプレイヤーとして愛され続けている選手となっています。

 

川島慶三は球界屈指の左キラー!

川島慶三は今や球界屈指の左キラーとして有名にもなっていますが、ここまで有名になったのには、もちろんそのような実績があったからです。

 

まずは「左腕投手との縁」について触れていこうと思いますが、まずプロ初打席に対戦した投手は、オリックス・バファローズの山本省吾でした。こちら、左腕投手です。

 

そしてプロ初安打を放った時の対戦投手は、福岡ソフトバンクホークスの杉内俊哉でした。こちらも左腕投手

プロ入り初の本塁打を放ったのは、中日ドラゴンズの吉見一起で、右投手からでしたが、「プロ入り初記録」には左腕投手が多く関わっていることが言えます。

 

もちろん、相手投手が左腕であった場合、右打者である川島慶三が起用される機会が多かったことが故にそのような結果になった部分もあるとは思いますが、ここでしっかり成績を残すことが出来たということは、左キラーとして評価出来る点ではないでしょうか。

 

他にも、2度のトレードによって移籍した後の初安打は、ヤクルトでは巨人の高橋尚成左腕)、福岡ソフトバンクでは、東北楽天の塩見貴洋左腕)からの安打であったことから、「左キラー」として結果を残してきていることが言えるでしょう。

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ここまで左腕投手と川島慶三の縁について紹介してきましたが、もちろん継続的な成績としても、左腕投手に対して好成績を残しています。

 

直近2年間では、2019年に打率.396、2020年には打率.317と2年連続で3割以上の成績を残しています。

ともに、シーズン通算打率(2019年….364、2020年….263)よりも高い打率を残しています。

 

2021年は、5月11日現在で、打率.167と低い数字となっていますが、まだまだシーズンは序盤ですから、これから「左キラー」ぶりを発揮してくれることでしょう。

 

球団からも、川島慶三の「左キラー」グッズが発売されるほどにまで有名となっている、川島慶三の左キラーぶりに今シーズンも期待しましょう。

 

川島慶三のトレード遍歴について

「川島慶三」という名前を聞いて、プロ野球ファンはどの球団に所属している川島慶三を思い浮かべるでしょうか。

恐らく、最近プロ野球ファンになった方は、日本シリーズでの活躍もあったことから、福岡ソフトバンクホークスでのイメージが強いと思います。

 

しかし、もう少しプロ野球ファン歴が経過している方(5年~10年)であれば、東京ヤクルトスワローズでの活躍も記憶にある方もいらっしゃると思います。

 

しかし、北海道日本ハムファイターズ時代の記憶については、恐らくコアな北海道日本ハムファイターズファンでないと記憶にないかもしれません。

 

改めて、川島慶三の所属球団歴を紹介すると、

北海道日本ハムファイターズ-東京ヤクルトスワローズ-福岡ソフトバンクホークス

です。

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いずれのトレードも複数人が移籍する大型トレードでしたが、最初のトレード(東京ヤクルトスワローズへの移籍)は、高田繁氏が東京ヤクルトスワローズの監督を務めた時に、前年まで北海道日本ハムファイターズのGMを務めていたことから、川島慶三に注目していたことで、トレードで「呼び寄せた」という経緯がありました。

 

結果、このヤクルトへの移籍で、川島慶三は一気に開花することになりました。

 

東京ヤクルトスワローズから福岡ソフトバンクホークスへの移籍については、憶測にはなるものの、怪我が続いた川島慶三に代わるレギュラー選手の目処が立ったことと、福岡ソフトバンクホークスが経験豊富な内外野手を欲していた思惑が一致したことで移籍が成立したと思われます。

 

結果、川島慶三は北海道から徐々に南下する形で、地元である九州のチームに移籍できたことは、本人にとっても嬉しいことだったのではないでしょうか。

 

その証として、福岡ソフトバンクホークス在籍時に取得したFA権については、一時行使を検討するような報道もあったものの、結果として行使せず、残留を選択しました。

恐らく、地元九州で、プロ野球選手としての人生を全うしたいという気持ちがあったのかもしれません。

 

川島慶三の年俸について

レギュラー格としての出場があれば、怪我で試合にも出場できないシーズンもあった川島慶三。そして3球団を渡り歩いた川島慶三の年俸推移はどのようになっているのでしょうか。

 

入団時から今まで振り返ってみてみたいと思います。

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年度 所属球団 年俸(推定)
2006年 北海道日本ハムファイターズ 1000万円
2007年 北海道日本ハムファイターズ 1000万円
2008年 東京ヤクルトスワローズ 960万円
2009年 東京ヤクルトスワローズ 2500万円
2010年 東京ヤクルトスワローズ 2650万円
2011年 東京ヤクルトスワローズ 2650万円
2012年 東京ヤクルトスワローズ 1200万円
2013年 東京ヤクルトスワローズ 1200万円
2014年 福岡ソフトバンクホークス 2200万円
2015年 福岡ソフトバンクホークス 2200万円
2016年 福岡ソフトバンクホークス 4000万円
2017年 福岡ソフトバンクホークス 3500万円
2018年 福岡ソフトバンクホークス 7000万円
2019年 福岡ソフトバンクホークス 7000万円
2020年 福岡ソフトバンクホークス 7000万円
2021年 福岡ソフトバンクホークス 7000万円

怪我の影響で、一時は大幅に減額になったシーズンもありましたが、福岡ソフトバンクホークスに移籍後は安定した成績を残していることや、チームにとって貴重な存在であることが評価され、7000万円を維持しています。

 

3球団を渡り歩いた苦労人は、2021年にプロ16年目を迎え、年齢も38歳になります。

数々の怪我を乗り越え、チームにとって欠かせないユーティリティプレイヤー、そして球界屈指の「左キラー」として活躍している川島慶三ですが、今後も大きな怪我なく、地元・九州で輝き続けてほしいですね。

 

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