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福山博之(東北楽天)がFA権取得!噂の生肉トレーニングや年俸,「さぶちゃん」のあだ名について調査

東北楽天ゴールデンイーグルス
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プロ野球には「苦労人」と呼ばれる、波乱万丈な選手生活を送っている選手がいつの時代もいます。

 

「苦労人」は、長きに渡って結果が残せていなかったものの、大器晩成のように晩年にブレイクした選手や、

常にトレードの駒として使われ、複数の球団に所属した選手、戦力外通告を受けながら、他球団で見事華を咲かせた選手、不運な怪我に見舞われた選手など、その境遇は様々です。

 

そんな中「苦労人」と呼ばれながら、2021年に見事国内FA権を獲得した選手がいます。

それは、東北楽天ゴールデンイーグルスの福山博之です。

 

今や、プロ野球ファンの中では「楽天・福山」というイメージが強いと思いますが、福山博之がプロ野球選手としてのキャリアをスタートには、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)でした。

 

横浜ベイスターズでは不遇の時代を過ごし、苦労の末、東北楽天ゴールデンイーグルスで華を咲かせた福山博之がようやく掴んだ国内FA権。

福山博之がこの権利をどう行使するのか、あるいは行使せずに残留するのかが気になるところですが、今回はそんな福山博之のこれまでについて紹介していきたいと思います。

 

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福山博之(東北楽天)がFA権取得!噂の生肉トレーニングや年俸,「さぶちゃん」のあだ名について調査

 

福山博之の出身地・プロフィール・成績について

名前:福山 博之(ふくやま ひろゆき)
生年月日:1989年3月27日(31歳・2021年5月現在)
出身:島根県雲南市
身長:172cm
体重:70kg
投打:右投右打
ポジション:投手

 

福山博之は小学2年生の時に、地元の野球チーム「大東西スポーツ少年団」で野球を始めました。地元・島根県雲南市は人口約4万人という町だったそうですが、ものすごく野球が盛んな地域だったそうです。

 

そんな野球が盛んな地域だったからか、小学6年生の時には全国大会に出場しました。

当時からピッチャーとして活躍していましたが、全国大会では1回戦で勝利したほどで敗退してしまいました。

 

小学校卒業後は、雲南市立大東中学校に進学。中学校時代は、小学校時代に務めていたピッチャーではなく、セカンドのポジションを守っていました。

そして、この中学校時代にも島根県大会で優勝するという華々しい成績を残しました。

 

中学校卒業後、高校も地元の島根県立大東高等学校へ進学。中学時代に引き続きセカンドを守り、1年生の春から、つまりは入学当初からレギュラーとして活躍していました。

 

高校入学時の身長は150cmほどであったため、野球選手としてはかなり小柄な方であったにも関わらず、持ち前の野球センスで、レギュラーを掴み取りました。

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2年生の秋には、県大会で3位となり、中国大会に進出しましたが、高校時代の最高位はここまでで、高校3年間を通じて、夢であった甲子園大会への出場は果たせませんでした。

 

高校卒業後は、大阪商業大学に一般入試で進学しました。

プロ野球で活躍する選手のほとんどは、高校時代から大学側より推薦の枠を設けてもらい、スポーツ推薦という形で入学するケースがほとんどですが、福山博之は一般の学生と同じように、入試を受けて、大阪商業大学に進学しました。

 

そして入学から数週間。野球部への入り方が分からなかった福山博之は、偶然にも講義の教授が野球部の部長であったことから、野球部に入部したい意向を伝え、晴れて大阪商業大学の野球部に入部することになりました。

 

野球を始めてから高校時代までは、順風満帆な野球生活を送っていたように見えますが、この頃から福山博之の波乱万丈な野球人生がスタートしていたのかもしれません。

 

そんな苦労を経て、野球部に入部した福山博之は、入部直後にとんでもない行動に出ました。

なんと、入部した際の自己紹介で「高校時代はピッチャーをやっていた」と言い放ったのです。

 

ご紹介の通り、投手は小学校時代までで、中学から高校にかけてはセカンドのポジションを務めていました。

にも関わらず、自分はピッチャーをやっていたと話したことについて、福山博之は「どうせ自分のことなんて、周りは知らないだろう」と考えた末に嘘をついた、と話しています。

 

福山博之の予想は見事に当たったか、自己紹介の通り、なんと福山博之は大学からピッチャーを始めることになりました。

 

ただでさえ、野球部に入るために苦労をした上、小学校時代までしかやっていなかったピッチャーで大学での野球生活をスタートさせたのです。

 

ここで「ただの嘘つき」で終わらないのが福山博之。

紅白戦に登板した福山博之は、レギュラー相手に素晴らしいピッチングを披露したのです。

この時のストレートはわずか128キロ止まり。それでも変化球が冴えて、バッターを次々と抑えたのです。

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さらにこの後、福山博之には奇跡的な出会いがありました。

偶然公園で出会ったおじさんに投げ方やトレーニングを教える、と話しかけられたのです。

そのおじさんが、なんと横浜ベイスターズや読売ジャイアンツで活躍した金城龍彦の叔父さんだったのです。

金城龍彦といえば、横浜ベイスターズ時代に首位打者を獲得したことで知られる外野手ですが、実は投手出身の選手。

そんなプロ野球選手を育てたおじさんに教えを受けた福山博之は、めきめきと投手としての力を付けていきます。

 

結果、3年生の時には、最速148キロをマークし、入学当初から20キロもアップ。4年生の秋リーグでは、最優秀投手に選ばれるまでに成長しました。

 

そして、この活躍がプロのスカウトの目にも留まり、迎えた2010年のプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズから6位で指名を受け、見事プロ野球選手になることが出来ました。

 

高校時代にセカンドのポジションを務め、大学では一般入試で入学。そして野球部への入り方もわからない中で、なんとか入部した矢先に、ピッチャーであると嘘をついた福山博之。金城龍彦の叔父との出会いによって、ピッチャーとしての才能を開花させた後に、プロ野球選手になるとは、まさに漫画の世界のようでもあります。

 

しかし、こんな奇跡的なストーリーには、まだまだ苦難が続きます。

 

プロ入り後、1年目から1軍の登板機会を得た福山博之でしたが、1年目は19試合の登板で0勝1敗、防御率5.76という成績に終わりました。

 

そして迎えたプロ2年目。1軍はおろか2軍でもなかなか登板機会に恵まれない中で、1軍では前年を大幅に下回る2試合の登板に終わり、防御率も18.00という成績でした。

球団は、早くも福山博之の投手としての起用を諦め、俊足を生かした野手転向を打診しました。

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しかし、福山博之はこれを固辞。入団してわずか2年目に受けた転向打診であったことから、まだまだピッチャーとしてやれる自信があった福山博之は結果として、横浜ベイスターズから戦力外通告を受けることになりました。

 

トライアウトの試験を受けた福山博之は、東北楽天ゴールデンイーグルスから入団の打診を受け、移籍することになりました。

 

移籍後1年目のシーズン序盤から1軍での登板機会を得ると、度重なった緊急登板で見事に抑えるなど、東北楽天ゴールデンイーグルスでは重宝される存在として起用されました。

結果、シーズンは22試合の登板に留まったものの、チームは日本シリーズに進出を果たし、福山博之も日本シリーズでベンチ入りを果たしました。(登板機会はありませんでした。)

 

移籍2年目。自身初の開幕1軍入りを果たすと、中継ぎとして大車輪の活躍を見せました。オールスターには監督推薦選手という形で初出場を果たすと、シーズン通算では65試合に登板し、防御率1.87という素晴らしい成績を残しました。

 

移籍3年目。中継ぎエースとして活躍を続け、この年も65試合に登板し、防御率2.76という成績を残しました。

 

移籍4年目も、勤続疲労を見せることなく、リーグ最多となる69試合に登板しました。

 

まだまだ福山博之の快投は続き、移籍5年目も65試合に登板。一時期はクローザーまで任されるほどにまでなり、勝ち星も自己最多となる6勝、無敗で防御率も自己最高となる1.06という驚異的な数字を残したシーズンとなりました。

 

しかし、ここから福山博之に再び、いや三度試練が訪れます。

移籍6年目も、当たり前のように開幕を1軍で迎えましたが、シーズン序盤に右肩を負傷し、戦線を離脱。すぐに復帰するも、本調子とまではいかず、結果として前年の約1/3となる21試合に留まりました。

 

勤続疲労を見せた右肩は、そうそう簡単に快方に向かうこともなく、移籍7年目には、右肘と右肩のクリーニング手術を受けることになりました。そして、リハビリに時間を費やすこととなるため、育成選手としての契約を結びました。

 

移籍8年目。懸命なリハビリを経て、実戦復帰した福山博之は、2軍で快投を見せ、見事支配下登録へ復帰。

1軍にも復帰した福山博之は、14試合の登板に留まったものの、防御率0.75という成績を残し、見事復活の狼煙を上げました。

 

移籍9年目の2021年シーズンは、開幕から1軍に帯同。5月14日現在で14試合に登板し、未だ無失点という快投を見せ、見事復活を果たし、5月13日には、国内FA権を取得しています。

 

福山博之はFA権を行使する?

ここまで「苦労人」としてご紹介してきた福山博之。奇跡的なストーリーでプロ野球選手になる夢を掴み取ったものの、時期尚早に戦力外通告を受け、トライアウトの末に大車輪の活躍。

その後怪我を乗り越え、見事復帰したことで得た国内FA権ですが、果たして福山博之はこのFA権を行使するのでしょうか。

 

気になるFA権取得後の福山博之のコメントですが、支えてくださった方感謝し、チームに貢献していく旨を述べています。

 

FA権を行使する可能性のある選手の取得後のコメントとしてよく見られるのが「今はシーズンに集中。」「シーズンが終わったらゆっくり考えます。」「今はシーズン中なので、考えられない。」といったコメントを良く見かけます。

 

しかし、福山博之のコメントには、支えてくださった方への感謝と、チームに貢献していく旨を述べていることから、他球団への移籍は現状考えていないのではないでしょうか。

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福山博之にとって、東北楽天ゴールデンイーグルスには、横浜ベイスターズから戦力外通告を受けた後に「拾ってくれた」球団です。

また「ピッチャーとしての未練がある中で、プロ野球選手として続けさせてくれた」という恩や、怪我をしてもクビにはせず、育成選手としてでも、再起を期待してくれた恩もあるはずです。

 

そんな東北楽天ゴールデンイーグルスにまだまだ恩返しがしたいという気持ちもあるはずですから、FA権を行使しての移籍する可能性は低そうです。

 

福山博之が行っている「生肉トレーニング」とは?

福山博之は2017年のシーズン開幕前に、プロ野球選手では「考えられない」あるトレーニングを行っていました。

それが「生肉トレーニング」です。

 

文字だけを見ると、一体何のトレーニングなのか、見当もつきませんが、実はこの「生肉トレーニング」、読んで字の如く、「生肉を食べるトレーニング」というものでした。

 

当たり前のことですが、プロ野球選手は「身体が資本」です。

生肉を食べるということは、お腹を壊すリスクが格段に上がる行動ですが、福山博之は「シーズン中にお腹を壊すことがないように、生肉を食べて胃を鍛えていた」そうなのです。

 

常識的には考えられない行動ですが、福山博之は生肉のみならず、生牡蠣や賞味期限切れの食材なども口にして、胃を鍛えていました。

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その効果があって?か、無事に胃を壊すことなく、このシーズンを走りきりましたが「胃を鍛える」という衝撃的なトレーニングでありながら、その鍛え方もまた衝撃的なものでした。

 

ちなみにこのことが話題になったからか、このシーズンオフの契約更改では、増額した年俸の使いみちについて「お肉をよく焼いて食べたい」といった、「生肉トレーニング」を自らイジるようなコメントも出しています。

 

福山博之のあだ名は「さぶちゃん」?

福山博之のことを調査していると、ときより福山博之を「さぶちゃん」と呼ぶ内容をよく見ました。

実は、福山博之は「さぶちゃん」というあだ名で呼ばれているそうなのですが、その由来は何なのでしょうか。

 

調べてみると、プロ野球に入ってから呼ばれたあだ名ではなく、横浜ベイスターズに入団した際に、入団発表で、自身の鼻の穴が大きく、北島三郎に似ていることから「ハマのさぶちゃん」と呼んでください、と自らアピールしたことが由来でした。

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福山博之自身も、この「ハマのさぶちゃん」を浸透すべく、横浜ベイスターズ在籍時には、登場曲に北島三郎の代表曲でもある「まつり」を使っていたほどです。

 

福山博之の年俸について

プロ野球入団後も波乱万丈の選手生活を送っている福山博之。

一度戦力外通告を受けながら、移籍先ではチームを代表する選手に。そして怪我を負いながらも見事復活した福山博之は、どのような年俸推移を辿っているのでしょうか。

 

所属球団年俸(推定)
2011年横浜ベイスターズ740万円
2012年横浜DeNAベイスターズ800万円
2013年東北楽天ゴールデンイーグルス600万円
2014年東北楽天ゴールデンイーグルス900万円
2015年東北楽天ゴールデンイーグルス3,000万円
2016年東北楽天ゴールデンイーグルス4,500万円
2017年東北楽天ゴールデンイーグルス7,500万円
2018年東北楽天ゴールデンイーグルス1億2,000万円
2019年東北楽天ゴールデンイーグルス8000万円
2020年東北楽天ゴールデンイーグルス1500万円
2021年東北楽天ゴールデンイーグルス1700万円

自身の最低年俸は、東北楽天ゴールデンイーグルス1年目の600万円でした。

しかしそこから前述のような素晴らしい成績を残したことから、一時は最高年俸、1億2,000万円まで上がりました。

しかし、その後は怪我の影響もあり、減額制限を超えるほどの減俸となったことで、2020年には最高年俸の1/10ほどまで下がってしまいました。

 

奇跡的なストーリーを展開してきた福山博之。戦力外通告を受けながら、夢の1億円プレーヤーにもなった福山博之は、まだまだなにか見せてくれそうな雰囲気もあります。

 

年齢も老け込むほどではありませんから、是非また周りを驚かせるようなサクセスストーリーを展開してほしいですね!そして、気になる国内FA権にも注目です!

 

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